
アンティークウォッチと呼ばれる時計がありますが、大体1960年くらいまでのものを指すようです。
アンティーク品自体は100年以上前のものですが、腕時計ではそこまでハードルを上げると該当するものがなくなってしまいます。
レトロな時計という雰囲気を大切にして、5~60年前までのものをくくっているようです。
ただ、昔の時計はかなり丁寧に作られていますので、同じものを作ろうとすると現代では販売することがためらわれる程高価になるようです。
見えない内部部品にまで研磨や装飾を施してありますから、好事家ならずとも瞠目する美しさです。
アンティークウォッチのコレクターが世界中にいるのはその魔力ゆえでしょうか。
古いものへの憧れ
古いものへの憧れは知らない世界への迷い道かも知れません。
機能ばかりが優先された現代の道具にはない人間臭さに引かれるのではないでしょうか。
ターシャ・テューダーという絵本作家がアメリカにおられましたが、彼女は家を建てた時から古く見えるように頼んだと聞いています。
アメリカ開拓時代の道具などもコレクションされていましたので、開拓史博物館さながらの家でした。
花を育てながらひっそりと暮らしていたようですが、生活自体に無理や無駄のないナチュラルライフを実践されたことでも有名です。
黒電話と階段箪笥
(画像はイメージです。わが家の物ではありません)
時計以外でわが家には古い黒電話が残っています。
残していますと言った方がよいですね。
あえて捨てずに置いていますので。
今は古い箪笥の上に鎮座していますが、箪笥も電話器もお互いに幸せそうに見えるのは気のせいでしょうか。
昔の柱時計やアイロンなども同居しています。
そう言えば、階段箪笥(たんす)などは若い方はご存知ないかも知れませんね。
(画像はイメージです。わが家の物ではありません)
文字通りタンスの引き出しが付いた階段ですが、わが家では健在です。
他には3~40年前の黒塗りのリヤカーやエンブレムが付いた実用車(自転車)などもありまして、わが家はちょっとした昭和史博物館でしょうか。
古い物に癒やされる
古いモノには癒し効果があると感じます。
何とも言えない穏やかさと言いましょうか、追いかけてこない大らかさが魅力です。
次から次へと開発されるデジタル機器にはない存在感もしっかりとありますから、にらめっこするとこちらが負けてしまいます。
わが家の古い家具たちも私が生まれる前からありますので、どっしりと腰が据わっているのも当然です。
古い時計の修理
当店には古いクォーツウォッチも時々やってきますが、風格を感じさせる味わいがありますね。
出始めの頃は近未来を予見させるような時計だったはずですが、年月と共に使い込まれたくたびれ具合が年輪のような趣です。
「捨てられなくて、いまだに使っています」と照れながらおっしゃる方もおられますが、それは決して歪んだ価値観や貧乏性などではないと思います。
時計や靴・鞄などには持ち主の人となりが窺えまして、見習うべきは手元・足元にあるような気がいたします
モノを通して見えるお人柄とでも言いましょうか・・
古い道具に思うモノ作り
古い道具を見ると手作業を前提としたモノ作りがあると思います。
機械で大量に作って売り捌くのではなくて、使い手のことを考えてじっくりと丁寧に作っていたのだろうなと思います。
必要なものを必要とされる分だけ作っていた時代は幸せだったのではないでしょうか。
写真を通して時計用の古い工作機械を見たことがありますが、19世紀の機械ですからいぶし銀の輝きでした。
キャビノチェの屋根裏仕事をふと想像してしまいますが、私でなくとも訪ねてみたい秘境ではないでしょうか・・
キャビノチェについては、こちらの記事で書いています
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時計職人キャビノチェのお話
若い頃には興味がなかったモノに目が行くようになったのは、自分も年を取ったからでしょうか。
古いモノへの親近感はお互いに共通する老いを自覚しているのかも・・と考えてふと鏡を見てしまいました。
少ししわが増えたようですが、誰かが落書きしたのかな?
年輪を重ねたようですが、あえて数えることはやめましょう。
細かいことなど気にしない大人になったのだと、さらりと流しておきたいものです。
私に関しましては日々愛用する時計と共に年月を過ごしたいと思います。
共に白髪の生えるまで・・ではございませんが。